ついったーの力、インターネットの力
September 24, 2009
- ついったー絶ち
この連休、実家に帰省するついでに3日ほどインターネットを絶ってみた。といっても購読しているフィードのチェックなんかは適宜していたので、ついったーを絶ってみたというほうが正確かもしれない。
ちなみに実家はソフトバンク圏外。かつADSLすらきていないという、もはや最近ではめずらしいほどのインターネット後進地帯。離島とかではないのにね。iPhoneでの各種作業は絶望的(たまーにつながることはあるけど)。一応ISDNでダイヤルアップ接続はできるけど、といった状況。
とはいえ、実家のある市の中心部では光回線もきていたりもするらしい。ずっと実家だけにいたわけではないんで、常に全くインターネットができなかったわけではないけど、ついったーにはポストしない、つぶやきをブラウズしないように、意識的に絶ってみた。そんなことを試してみて感じたことを書いてみる。
後で加筆するかもしれないし、しないかもしれない。あえてそのままポストする。
- ついったー依存
やってみて真っ先に思ったのが、ついったーにだいぶ依存していたんだなーということ。なくても生きられたので依存という表現は正確ではないかもかも。でも、無意識についったークライアントを起動してしまったことが幾度となくあった。最近はポストする回数も減りあんまりついったーを使っていなかった気がするけど、それでもいつの間にか使っていたことを実感した。かつてドコモのiモードが一世を風靡したのはユーザのスキマ時間の活用にちょうど良かったからという話をきいたことがあるけど、今や自分のスキマ時間はすべてついったーに費やされていると言っても過言ではない気がする。
他人にとってはどうでもいい、ただ単にそのとき起こったこと思ったことのつぶやきですらも、もしかしたら後の自分に役立つ情報かもしれないと、なんとなく感じた。ついったーというものを表現するには、やれマイクロブログだとか、やれ世界中の人との大人数チャットだとか、いろいろ言われているけどどれもそこそこ合っているしどこか間違っているような気がする。ユーザ一人一人にとってついったーがなにかっていうのは違っていて、連絡ツールであったり、日常のメモ書きであったりするんだと思う。個人的に素晴らしいなと思うのは、単なる日常のメモ書きにとどまらず、そこに誰かが反応してくれることによって何か新しい発見につながる可能性があること。たとえば、よくメモをとる人は、誰かの話だけでなく、その場その場のアイデアなんかもメモにとっておくと思う。それをついったーにポストしておくと、ネットの向こう側にいる誰かが反応することによって全く新しい発見やアイデアにつながるかもしれない。hogeが食べたいからfugaっていうお店に行ってみる、fugaよりもfugeがおすすめだよ、とか。さらにそれがオープンに行われることによって、第三者にとっても有益な情報に成りうる。といっても、そういう例は稀であって、大多数がどうでもいいポストなのかもしれない。でも、インターネットの情報は玉石混合なんてのは今に始まったことではないのでそれはそれでいっこうに構わない。
- インターネットのない世界
今自分がいる世界、つまり家や職場で当たり前のようにインターネットを使い、あるいはその他の場所であってもiPhoneを使ってそれが可能で情報にアクセスできる世界、これをインターネットのある世界と考えると、今回の帰省中にあった家族・親類はインターネットのない世界に生きているも同然の人たちだった。それはそれで不自由なく生きていけるものなんだな、となんだかカルチャーショックだった。とはいえほんの数十年前にはそれが当たり前だったんだから、当然と言えば当然なのかもしれない。インターネットのない世界では未だにテレビが第一線のメディアであり、フィルタリングされた情報を得ている。ネットを経由する情報の代わりなのか、口コミでの「○○さん家の△△ちゃんが□□らしいわよ」といったような情報がやたらと行き来している。なるほど、情報のハブになる人間が権力のようなものをもつわけだ、と感じた。
「なにそれこわい」などと言われるように、把握不可能な状況を怖いと感じることがある。田舎のご老人が「東京は怖いところだ」と漠然と言うように、ネットがない世界の人はネットの世界を、ひいてはネットのある世界に生きている人を怖いのかもしれない。自分の知らない何かを知っていて、情報にやられたかのようにアレは駄目コレは良いとの判断を下す人間を怖いのかもしれない。情報を知る・知らないで人の判断基準は全く変わってしまう可能性があるわけで、価値観や判断に影響を与えてしまうという点でネットは宗教みたいなものかもしれない。論理は飛躍しているけど、なんか頭の中でつながった。
ネットのない世界の人は、ネット上の情報を知らないけど、かわりにネットでは知り得ない情報も行き来していて、どちらもそれなりに不自由なく生きていける。ネットにつながると全てを知れるという錯覚に陥ることがあるけど、それは間違いなんだと改めて感じた。世界中には色んな知り得ない情報が転がっているし、ネットを観測していてもそれらを知ることは不可能だし、知らなくたって生きていける。ネットを使うと情報の観測範囲がほんのちょっとだけ広がるけど、ただそれだけであって、テレビからしか情報を得ていない人がフィルタリングされた情報しか知らないからといってなんの優劣があるわけでもない。ただネットがあってうれしいのは、自分の興味のある方向へとアンテナをはっておけば、それに関する情報を簡単に得ることができるということ。そういう意味でネットを使って、アンテナをある程度高くもっておくってのは悪くないと思った。
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